2008/12/30

読み終わった本というモノ

donadona_booksサザエさん的年中行事をほとんどやらないわたくしですけれども、大掃除だけはやります。

今年、ブックオフという天道かちり紙の畜生道、果たまた火の燃えさかる地獄道へ突き落とされる、輪廻の世界を漂うのは彼ら。本のフローが年々加速してます。

これは、確実にインターネットに影響されてる。インターネット的世界になると、情報量は公文塾の世界から天文学の世界へといざなわれるわけで(量の問題)。また、情報はすぐ陳腐化するもんで、古い本の大半は役に立たない(スピードの問題)。読んだ本をとっておくことは、もうデメリットの方が確実に大きくなってきてる。iTunesとiPodによって、CDがむしろ邪魔になってきてるように。物理的問題はもちろんのこと、検索性が重要になる、爆発後は(iPodはこの問題を完璧なまでに解決した)。で、本をとっておいても、なにより「あれを本でもう一度調べよう」なんて思うことは現実ほとんど無いわけで、いままで27年生きてきた経験則からは。パラパラとめくるという、あれはイマジネーションにとっては良いのだけど。

おそらく数年後には日本の出版界もGoogle Book Searchの適用範囲を広げていくでしょう。ということで、今年はひときわばっさりと捨てた。「本」というのはコンテンツにとっての一形態でしかないわけで、紙にとどめておくことの方がかわいそうなことなのです本当のあるべき姿は、コンテンツに対して対価を支払うべきなのにね。

たとえば、書籍は3,000円でデジタルだと2,000円。書籍を購入した場合はデジタルの無料閲覧権がもらえる。で、本は最初に全文を読むためのものになり、デジタルは部分を調べたり検索から呼び出されるためのものになる。本は古本が当然のように流通するようになり、古本でももちろん出版社へコンテンツ料が支払われる。これが、既存の枠組みを想定せずに、フラットに考えた理想像だと思うんだけど、これいかに。あくまでも、「本が滅びる」と狂言を言ってるんではなく、役割による棲み分けができるようになればより世界がすばらしいのになぁ、ということデス。

大掃除してたら、昔の大学のノートが出てきた。昔はつまらなかったことが、今読み返すとこんなにおもしろい。しかも、やはり大学でやっている内容は不変的なことが多い。やっぱ大学は社会人になった後でいくべきだってな話はまた別の機会に。。

日本の図書館がすべてスキャンされるのはいつの頃だろうか。