カンボジアにて思ひしこと
この笑顔は、カンボジアにて。
この子たちとは、アンコールワット前で休んでた時に仲良くなりました。身なりもきれいにしているし、家族はとても幸せそう。おばあちゃんの足が悪くなって歩けなくなったので看病に来たらしい。
だけど、この子たちの父親には職が無い。そして、英語を勉強していると。この子たちの未来を考えると、ほんとうに心配だ。日本で「この子の将来が心配だ」と言うのとは示す意味が違う。
カンボジアの人々は俺の行った新興・発展途上国の中では最も温厚で、かつ働き者だ。少なくとも俺の見える範囲では。だけど、長きに渡る国内の混乱の影響で、人々とはうらはらに発展からは取り残されてしまった。
カンボジアでがんばっている人よりも、日本でがんばってない人の方が遥かに所得水準も生活水準も高い。どうしてもここに憤りを感じてしまう。努力よりも、生まれる場所の方が大きく作用するところに。
最近はだいぶ頭の整理ができてきていて、俺がまずすべきは教育や情報取得の機会均等。次に資金。そして俺の夢、あらゆるものが合理的に適切な価格で取引される市場は、その後のフェーズじゃないとダメだ。これを順番にやっていけばきっと。ニンジンも人材も排出権でも、適切な価格で取引されたら、どんな世の中になるだろう。G8の働かない人々から、新興・発展途上国の働く人々が仕事と報酬を奪って行く"Economic Fiction Cinema"があったら、俺にとっちゃハリウッドのテンプレート映画より数百倍おもしろい。