『フェイスブック 若き天才の野望』を読んで考えた未来の広告
フェイスブック 若き天才の野望
5億人をつなぐソーシャルネットワークはこう生まれた
デビッド・カークパトリック 著
5億人をつなぐソーシャルネットワークはこう生まれた
デビッド・カークパトリック 著
Facebookは昔から大好きだったけど、「ソーシャル」というバズワードは大嫌いでした。でも、きっとこれから僕はソーシャルを叫びだすと思う。いまさらながら。
映画『ソーシャル・ネットワーク』はかなりの部分がフィクションであるのに対し、この本はより事実に基づいていてザッカーバーグ自身へのインタビューも行っていることは周知の通り。さらに言えば、映画は草創期まででエンディングなのに対し、本書は2010年までを追い、未来についても言及されている。何より、人間模様を描いた映画と、企業やメディア運営を描いた本書という点で大きく異なっていて、このブログを見ている方にとっては身に覚えがある話が次々と現れてほっこりした気持ちになれるでしょう。Microsoftとの広告販売権のくだりなんか、最高にたまんないですね。あるあるネタで。
Facebookやザッカーバーグというと遠い世界を想像しがちだけれど、我々と同じようにいつもつまづきながら、最初は小さな山を越え、どんどんと大きな山へ向かって行った事がわかる。自分の過去の仕事を振り返ると、とんでもなく小さなことを必死こいてやっていたのに後から気付くみたいに。ただ、Facebookの場合、その山の大きさがドラゴンボールのストーリー並に指数関数的に大きくなっただけさ。。最初から今のFacebookのサービス構想やビジネスモデルがあったわけじゃなかったし、現在のFacebook Adsのターゲティングも、その価値に後から気付いたとされている。
結構な長編なので途中で挫折する人も多いと思うけれど、本当におもしろいのは終盤。しれっと告白すれば、ボクは今までFacebookコネクト(今はSocial Pluginsへ?)をサイト側が利用するメリットを理解できてませんでした。ストリームと連動するところがキモなのだね。今や無きFacebookビーコンしかり、行動がストリームに共有されると、友達からの反応があったりして楽しいから。
そして、今後はFacebookサイトそのものの重要性は薄れていく。免許証とかを使った本人確認ではなく、ソーシャルグラフで担保するという考えには涙が出る。透明性によって秩序を持たせる。ソーシャルグラフと認証が組み合わさることで、単なる本人確認からエスクローへと展開が可能になる。そこに金銭授受が発生するなら決済プラットフォームを統合すれば高い利便性が実現できる。そのアクションは、ワンクリックでストリームとして共有される。ストリームはFacebookサイトの外にあったって別に構わない。ユーザーと企業の利害は一致するから。アクションに関連した広告は情報としてインサートされる。完璧すぎる。
今のFacebook Adsはデモグラや興味のあるキーワードへのターゲティングだけですが、きっと今後は"シチュエーション"でターゲティングできるようになるだろう。それは地域情報だったりイベントだったり外部サイトでの行動だったりつぶやきだったり。きっと、現在多く存在する"広告メニュー"的なものではなく、代理店・広告主が自由自在に条件をカスタマイズできるリスティングのような形式で展開していくに違いない。いや、そうでなければ真価が発揮できない。すべてFacebook側で最適化なんて絶対に無理だから。これはFacebookサイトだけではなく、外部のサイトでもFacebookのデータを利用したターゲティングをできるようにするはずだ。
広告代理店はこれまでの検索ワード・コンテンツ・オーディンエンスデータに加えシチュエーションでのコミュニケーション戦略を実行でき、それらはデモグラによってフィルタリングできる。組み合わせパターンは爆発するから当然データマイニングと人間のマーケティング感覚が混ぜ合わされる。
僕らはFacebookによる閉鎖社会を過剰に警戒する必要は無い。Facebookは外部法人(人格)がユーザーに不適切なアプローチをしないように統制する、いわばフェイスブック市警察の役割をするはずだから。透明性を高めさせ、それでもフェイスブック市民によって通報されるような法人はフェイスブック市から永久追放される。だからFacebook八分を恐れて法人は悪さをできない。きっとザッカーバーグはそう考えるに違いない。
そんな風にザッカーバーグの思考回路をほんの少しだけ理解できるようにしてくれるのが、本書なのだと思う。